2008年10月11日
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未来創造堂 第130回 速水もこみち 市川春猿

未来創造堂 第130回のゲストは、市川春猿さん、速水もこみちさんでした。

●コダワリのトーク

市川春猿さんのコダワリは、黒コショー

マヨラーならぬコショラーだという春猿さん。
黒胡椒をかけて食べるのが好きで、マイ胡椒を持ち歩いてる程なんだそうです。
胡椒なら何でも良いわけでなく、白いのはダメ、「GABANのブラックペッパー」に限るそうです。
胡椒をかける食べ物といえば、ラーメンですが
春猿さんのコダワリは、チャーハンに黒胡椒なんだそうです。
憲武さんはしょう油、もこみちさんは酢を掛けたりすると言ってましたが
酢の嫌いな春猿さんは、ラーメンに酢を入れるのも信じられないとか・・
そんな春塩さん行き着けの店のチャーハンが用意されみんなで試食
黒胡椒を掛けなくても十分美味しいんですが、その味がさらに美味しくなるみたいでした。

続いて春猿さんの好き嫌いトーク。
パクチー、ミョウガ、春菊、三つ葉などの匂いのする野菜が全くダメで
特にパクチーは、もりもり食べてる人を見てるのも嫌なんだそうです。
そして、チーズも嫌いらしくて、匂いがダメなんだそうです。
ところがピザなどの火を通したチーズは大好物に大変身するとのこと。
番組では、好きと嫌いの境目はどこかというのを調べる為に
全く生の0分から始まり最長は90分焼いたチーズが用意されました。
時間をかけて用意された物だと思うのですが、春猿さんの答えは即答(笑
約20分焼いたチーズの完全に火が通った部分だけOKとのこと。
チーズに火を通すと成分はどうなるのか調べてみたところ
成分自体はほとんど変わりなくて、全体の5%に満たない物質に多少変化があるかもという結果。
チーズフォンデュも好きみたいなので匂いの問題なんじゃないかなと思いました^^;

・春猿さんお気に入りのブラックペッパー
ブラックペッパー.jpg
ギャバン ブラックペッパー 缶
一流ホテル・レストランでも使われている胡椒です。



速水もこみちさんのコダワリは、フィギュア

おもちゃ好きな速水さんは、フィギュアを集めるのが趣味。
買ったフィギュアは、大体開けないでパッケージのまま並べて飾っているんだとか
速水さんが特に好きなのが、アメリカの映画やコミックのもの
スターウォーズ、X-MEN、スパイダーマンなどで
スターウォーズのフィギュアなんかは集めだしたらキリが無いそうです。
そんな速水さんが持ってきてくれたフィギュアが、海外ドラマ「HEROES」のフィギュア
中身は同じなんだけど、パッケージが違うから2つ買ったんだそうです。
パッケージのまま飾るから、そういうこだわりも出てくるのかもしれませんね^^;
飾っているフィギュアだけでなくて、動くおもちゃも好きらしく
スイッチを入れると笑い出す人形「くすぐりエルモ」を見せてくれました。
こういうのを見てると、すごく癒されるという速水さんでした。

・速水もこみちさんが癒されるグッズ
アーニー エルモ クッキー.jpeg
セサミストリート「くすぐりアーニーX」 「くすぐりエルモEX」 「くすぐりクッキーモンスター」


●コダワリのVTR
「チャンバラ映画の未来を切り拓いた男 久世 竜」

チャンバラという言葉は
チャンチャン、バラバラという刀の触れ合う音から生まれたと言われています。
戦前の日本の映画は、チャンバラ映画が主流でした。
初期のチャンバラ映画は歌舞伎を参考に作られていて、斬り合いのシーンは舞踊のようでした。
そんな斬り合いに意義を唱えていた殺陣師が久世竜です。

役者が切り合う立ち回りのことを「殺陣」と言いその立ち回りを考える人が「殺陣師」です。
斬り合いは殺し合いなのに、なぜ舞踊のような動きになるのか
そこに疑問を持ち意義を唱えた久世は、当時の映画界からは異端視されました。
殺陣師としての声はかからず、役者としてなんとか食いつないでいました。
そんな久世に運命の出会いがあったのが50歳を目前にした頃でした。
久世に立ち回りの意見を聞き、じっと意見を聞いていた映画監督。
この監督こそ、後に「世界の黒澤」と言われるようになる黒澤明監督でした。

黒澤監督と出合い、久世はやっと自分の思った世界を実現出来るようになり
黒澤監督の映画「用心棒」「椿三十郎」と立て続けに作品を作ることになりました。
黒澤監督は、斬り合いのシーンを撮るにあたり1つのテーマを掲げました。
「所詮、殺し合いは意味のないはかないものだ」と、いうことを表現したい。
これをどう殺陣に取り入れればいいのか、久世は悩みました。
悩んだ久世は、夜な夜な繁華街に出掛けました。
いつ起こるかわからない客同士の喧嘩を見る為です。
殴られる者の苦痛に歪む表情をリアリティのある殺陣作りの参考にしました。
しかし、本当の殺し合いを見れる訳もなく、久世の悩みは続きました。
人を斬る者はどういう思いで斬るのか、斬られる者はどうなのか
久世は、ある老剣士の言葉を思い出しました。
その人は、侍同士が斬り合った最後の戦争「西南戦争(1877年)」の生き残りでした。
「人を斬る時、そこには恐怖しかなかった」老剣士はそう語ったそうです。

この言葉で久世は1つの考えに辿り着きました。
怖さゆえに、人は無駄な動きを封じられるのではないか
恐怖を感じるがゆえに、主人公は一太刀で決めようとする
そこに踊るような殺陣や無駄な動きは一切生まれないのではないか
斬るほうも斬られるほうも怖い、斬りたくはないが斬らなければ殺される
そこに、意味のないはかなさを見出しました。
そして、極限まで無駄を無くした殺陣作りが始まりました。
通常、刀で切る場合は、「抜く」「斬る」の2アクションになります。
しかし久世は、右手で刀を抜くアクションも排除しました。
左手のみで刀を抜き、一気に切り上げる1アクションの殺陣を作り上げました。
こうして、究極の殺陣「逆抜き不意討ち斬り」が誕生したのです。

この殺陣は、映画「椿三十郎」のラストシーンで使われました。
このシーンで黒澤監督は、時代劇で初めて血しぶきを使い
久世の殺陣をよりリアルで重量感のあるもの仕上げました。
久世と黒澤が確立した殺陣のリアリズムは、世界に衝撃を与え多くの映画監督が影響されています。


●コダワリのオススメ

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2008年10月04日
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未来創造堂 第129回 キャイ〜ン 温水洋一

未来創造堂 第129回のゲストは、キャイ〜ンのお2人、温水洋一さんでした。

●コダワリのトーク

天野ひろゆきさんのコダワリは、北斗の拳

北斗の拳マニアだという天野さん。ご自慢のグッズを色々見せてくれました。
「HiDeBU」とプリントされたTシャツやラオウとケンシロウのフィギュアなど
憲武さんの意表をついた攻撃でラオウの兜の角が折れたりと盛り上がってました。
憲武さんは、北斗の拳はよく知らないそうなんですが・・
西尾アナはお兄さんの影響で結構見ていたそうです。
漫画やアニメやパチスロなどで大ヒットした北斗の拳をより良いアニメにしようと
「新救世主伝説 北斗の拳 ZERO ケンシロウ伝」が製作されて、
10/11より全国一斉ロードショーが始まります。
ケンシロウとユリアの結魂式が9月13日にあったそうで
天野さんは、そこに出席しコメントを残したそうです。
北斗の拳は人生のバイブルみたいになっていて、色んな場面で北斗の拳の言葉が浮かぶとか。
恋愛にはあまり活かされなかったようですね^^;



温水洋一さんのコダワリは、ペン回し

ペン回しが得意の温水さん。
憲武さんから「まさかペン回しで番組にきたんじゃないでしょうね?」と釘をさされ・・
色々な物を回すハメになりました^^;
今は、ペン回し専用のペンも販売されていて、そのペンをみんなでクルクル。
ここから温水ショーの始まりです。
もう1つの得意技である「ライター回し」から始まり
すりこぎ、たて笛、長ねぎ、ちくわぶ(真空パック)、バトン、竹刀、物干し竿。
全てペン回しの要領で指先だけで回した温水さん、物干し座をを頭に落としオチになりました(笑
最後に、第1回 ペンスピニング ジャパン 2008優勝の大村龍貴さんの技が披露されました。
日本チャンピオンのテクニックは凄かったです。



ウド鈴木さんのコダワリは、嫁探しの旅

ウドさんが独身時代にしていたという「嫁探しの旅」を語ってくれました。
独身時代にず〜っと彼女がいなくて、東京にはいないんだなと思い
関東近辺から始め、九州、沖縄まで旅に出掛けるようになったそうです。
嫁探しの旅ですので、色々な出会いがあって、その土地その土地にマドンナがいて
まるで「フーテンの寅さん」のような旅をしてたんだそうです。
その旅でいつも持ち歩いていたという七つ道具を公開。
中身がぐっちゃぐちゃのポーチの中には、体臭、口臭を防ぐ消臭グッズがいっぱい^^;
その中に「1週間の強力印 赤まむし」精力剤もありました(笑

そんなウドさんの、旅先での注意があるそうです。
まず、ホテルのチェックイン。シングルでチェックインした場合
もし旅先で知り合った女の子を部屋に招待しようとしてもフロントで止められるそうです。
(実際に止められた経験があるらしい)
なので何があってもいいように、あらかじめツインかダブルでチェックインするんだとか。
チェックインの後は、最寄の割烹料理屋さんみたいな店に必ず行くそうです。
そういうお店に行けば、常連客の女の子とかと仲良くなれることもあるんだとか。
数々の出会いを経たウドさん、今の奥さんとは東京で知り合ったそうです(笑


●コダワリのVTR
「電動工具の未来を切り拓いた男 青木 陽之介」

木造建築の多い日本は、木工用の電動工具の技術は優れていましたが
石やコンクリート用の電動工具は、世界に遅れをとっていました。
そんな電動工具業界に事件が起こりました。
2000年、EUが電動工具の使用時間に規制を設けると発表したのです。
激しい振動による神経障害が問題になっていたからです。
その規制は、振動値14m/s*2以上の電動工具の使用時間を1時間以内に制限するというものでした。
これが正式に法令化されるのは2005年。
つまり、5年以内に振動の少ない電動工具を開発しなくてはならないということ。
日本の電動工具のメーカー「makita」も、この開発に乗り出しました。
そのプロジェクトチームの一員に選ばれたのが青木陽之介です。

工具が激しく振動する原因は、扱う相手が硬いからなのです。
柔らかい木材ならドリルを回転させるだけで簡単に穴は開くのですが
硬い石材やコンクリートの場合は、回転と同時に激しい上下動が必要になります。
1秒間に50回近い上下動、これにより激しい振動が起こりました。
振動を少なくする為に上下動を減らせば、その分作業効率も悪くなります。
青木の課題はいかに振動を殺すかという事でした。

小手先だけの工夫では振動は消せない。青木は基本から考え直しました。
学生の頃読んだ物理の本を引っ張り出し、改めて読み漁ったのです。
そこで「動吸振器」という言葉を目にします。
ある方向に動く力に対して、反対方向に動く力をぶつけ振動を消すシステムです。
ビルなどの耐震設備に実用化されていて幅広く採用されているシステムなのです。
これをヒントに、青木はひらめきます。
ドリルの上下動に対して反対方向に動くおもりを取り付ければ振動は消せるはず。

しかし、この考えには重さの問題がのしかかりました。
原理的に振動を完全に消すには、
ドリルのモーターと同じモーターを取り付けおもりを動かさなければなりません。
ただでさえ重い工具なのに、それでは使い物になりません。
「モーターを使わずにおもりを動かす方法」
悩みぬいた青木が見つけた方法は、相手の力を利用する柔道に似たような発想でした。

工具のモーターの中ではシリンダーの激しいピストン運動が繰り替えされています。
青木が注目したのは、その空気圧の変化でした。これを利用しておもりを動かせばいい
青木は、モーター内部の空気圧の変化をチューブを使いおもりに伝えるシステムを考案しました。
これなら動力は本体のモーターのみ増える重量も100gに押さえることが出来ました。
このシステムを使い試作機が完成。その振動は従来の物の約半分に押さえられました。

EUの厳しい審査基準をクリアし、2004年、低振動電動工具は完成しました。
世界のトップメーカーもこの発想に追随。
2008年にはヨーロッパでその技術力が高く評価されました。
今やmakitaはヨーロッパを始め30カ国以上に支社のある世界的ブランドになっています。


●コダワリのオススメ
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2008年09月27日
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未来創造堂 第128回 高橋克典 矢沢心

第128回のゲストは、高橋克典さん、矢沢心さんでした。

●コダワリのトーク

高橋克典さんのコダワリは、オーディオケーブル

自称ステレオおたくの高橋さん。昔、バンドをやってたこともあって音にこだわるようになったそうです。
高橋さんが言うには、良いステレオで聴くと偉大なミュージシャンが
まるで目の前で演奏しているような感覚、その人の魂まで聴こえてくるそうです。
ケーブルというのは、家庭的に言えばコードの事で
コンセントからステレオ、ステレオからアンプ、アンプからスピーカー
という感じに繋がっているコードを変えると音が劇的に変わるというのです。

高橋さんが実際使っている電源ケーブルを見せてくれました。
「電源ケーブル PLMM(トランスペアレント社)」
タップも改造してあるケーブルで、約2mくらいで24万だそうです。
「バランス ライン ケーブル KS1130(キンバーケーブル社)」
こちらはCDプレーヤーからアンプへ繋ぐもので、約30万なんだとか。
電源にこだわった結果、ステレオ用に電気を引き電柱まで建てちゃったらしく
他のものに電気が散っちゃうので、家庭用とステレオ用は別にしたそうです。

実際みんなで聞いてみようという事で、オーディオセットが用意されました。
高橋さんが今欲しいと思っているスピーカーがあって、お値段がなんと左右で300万!
その他にも厳選された機器が用意されました。
「スピーカー BOOD NY B&W社」
「CDプレーヤー CDP102 クラッセ社」
「コントロールアンプ CP500 クラッセ社」
「ステレオパワーアンプ CA2200 クラッセ社」
総額約500万円のステレオセットで、高橋さんの好きな曲を聴いてみました。
曲は、「THAT'S ALL Scott Hamilton」

これだけでもスゴイんですが・・・ ここからが本番。
このステレオセットのケーブルを変えて、音の違いを体感してもらおうという試み。
電源ケーブル
「PK10 PAL PLUS」「PK14 PAL PLUS」「PLXL」「PLP」
スピーカーケーブル
「K2」「ROCKET88」「MWS8」「OD3MB/BW」
バランスラインケーブル
「NIAGARA」「COLORADO」「KINGCOBRA」「KS113B」「BMLU」「RBL」「ODIN D1MR」「ODIN CD2MR」
と、素人には全然わからないケーブル達が用意されました^^;

まずは、電源ケーブルとアンプ等のケーブルをチェンジ
高橋さんが言うには音に厚みが出たような感じらしいんですが、他の人にはピンときてないようでした^^;
次は、最強のセッティングにチェンジ
3mで400万円というスピーカーケーブル「OD3MB/BW(ノードスト社)」も取り付けられました。
最強のセッティングにすると、ステレオセットの総額が約1100万円!
高橋さんは無言で聴きいってしまい、すごいですね!と一言
他の人は、高橋さんの説明を聞いて、その違いがなんとなく分かったような感じでした^^;



矢沢心さんのコダワリその1 ガリガリ

矢沢家で「ガリガリ」と呼ばれているものらしいです。
髪の毛をくりくりっと丸めていって、細いコヨリみたいな物を作って
それを耳の中に入れ、耳かきをする感じでくるくる回すと
「ガリガリ」という音が他の人にも聞こえるくらいの音で聞こえてきます。
髪の毛でなんでそんな音がなるのか・・・ 不思議な感じでした。
矢沢さんは、小さい頃これをお母さんにやってもらっていて
眠いのに寝れないって時は、これをやるとコテッと寝てしまうそうです。

矢沢心さんのコダワリその2 梅干

矢沢さんが長年食べ続けている物が梅干。いつも食べている梅干を紹介してくれました。
五代庵 紀州五代梅
色々なところの梅干を食べて、ようやくココだ!と思った梅干なんだそうです。
美味しい!と憲武さん西尾アナも大絶賛!
藤原紀香さんもここの梅干が大好きで、とんねるずの食わず嫌いのお土産に持ってきてくれたそうです。
「五代庵 紀州五代梅の心」
こちらが紀香さんがお土産に持っていた品。
1個ずつ袋に小分けされていて、さらに高級そうな箱に入っているものです。
1個のお値段300円! ちょっとお高いけど納得の味だそうです。
さらに、矢沢さんが取り出した梅干が
「五代庵 甲申年の梅「五福」」
高級そうな箱から出てきたのは・・・ 壷
壷の中には、さらに包みが入っていて、それを開けると1つの大きな梅干が登場。
1個なんと3000円!猿の腰掛の入った申年に取れた梅を漬け込んだものみたいです。
も〜のすごく酸っぱいみたいです^^;

最後に矢沢さんオススメの食べ方を教えてくれました。
五代庵 紀州五代梅」を七輪で炙って「焼き梅干」を作ります。
うどんに焼き梅干とおかかとネギを入れたら出来上がり。
おこげのところがいい味だしていて、とても美味しいとみんな大絶賛していました。





●コダワリのVTR
「イカ漁の未来を切り拓いた男 濱出 慈任」

今から約40年前、函館の漁師達はピンチを迎えていました。
旧ソ連との200海里問題で漁業規制が厳しくなり漁獲高が激減したのです。
函館の漁師に残されたのは、近海で獲れるイカだけでした。
しかし、当時のイカ漁は手釣りしか出来ませんでした。
網ではイカの体に傷がつき商品価値が無くなってしまうからです。
そんな漁師達の苦労を見てきた人物が濱出慈任です。
濱出は函館に生まれ育ち、漁船のパーツを作る仕事をする技術屋でした。

当時、イカは単価が安く、イカ漁は重労働のわりに利益の出ない漁でした。
その事もあり、後継者不足という新たな問題も出てきたのです。
そこで、濱出はイカ釣りマシーンを作ろうと決意しました。
濱出は漁師の船に乗り込み、イカ漁を体験し研究を重ねました。
イカの手釣りには「しゃくり」という技が不可欠でした。
釣り糸を手繰る速さに微妙な緩急をつけ、糸に付けた疑似餌を生き物のように動かす技です。
この「しゃくり」を機械で再現すること。それが最大の課題となりました。

濱出は、糸を手繰るドラムを丸ではなく、ひし形にしてみました。
そして、ドラムを回転させるモーターの電源をオン・オフ繰り返し針の動き緩急をつけたのです。
このイカ釣りマシーンの試作機を乗せ、船はイカ漁に出かけました。
ところが・・肝心な時にその機械は壊れ、漁師は大漁のチャンスを逃してしまったのです。
壊れた原因は、オン・オフを繰り返すことでモーターに負担が掛かり過ぎた為でした。

壊れてしまうような機械ではダメだ・・ 濱出は決意を新たにし
イカ釣り漁船を購入! 現場に出てしゃくりの研究に没頭しました。
水中で動く針の動きをグラフにして分析。それは、とても複雑で不規則なリズムだったのです。
濱出は毎日のように船を出し、船上での実験を繰り返しました。
しゃくりを再現するには、モーターのスピードを自在に変化させなければならない。
苦難する濱出がヒントを得たものは、エレベーターでした。
速く動いてゆっくり止まる、この緩急は、しゃくりに使えると考えたのです。
エレベーターに使われていたのは「インバータ」でした。
今では、エアコンや洗濯機など多くの家電製品に使われていて
流れる電気の量を調整することでモーターの回転数を制御するものですが
当時は、やっと一般化しはじめたばかりでした。
インバータを搭載し、あらゆるしゃくりを再現することに成功!
こうして完成したインバータ制御のイカ釣り機は、見事に大量のイカを釣り上げました。
開発から15年。念願のイカ釣りマシーンがやっと完成した瞬間でした。

ところが、イカ漁のシーズンまであと一月という時に、濱出は肺がんの為、帰らぬ人になりました。
残念なことに、漁師達がイカ釣り機を使う姿を見る事が出来なかったのです。
濱出の意思は、その息子に受け継がれました。
今では、改良を重ねた自動イカ釣り機が世界で7割のシェアを誇っています。


●コダワリのオススメ

・金粉が飛び散る おめでたい割り箸
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2008年09月20日
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未来創造堂 第127回 中井貴一

第127回のゲストは、中井貴一さんでした。

●コダワリのトーク

中井貴一さんのコダワリその1 餅つき

憲武さんと中井さんは親交が深く、家族ぐるみのお付き合いをしているそうです。
憲武さんも毎年参加しているという中井家のパーティ
毎年正月にお世話になった人やスタッフを招待するそのパーティの恒例行事が「餅つき」なんだそうです。
最初は、子供達に日本の伝統行事を体験させようということで始めたそうですが
折角やるなら人を呼んでやろうという事で規模が大きくなっていったんだとか。
そんな中井家の餅つきセットがスタジオに用意されて、季節はずれの餅つき大会。
杵と臼を使い約10分程ぺったんぺったん、かなり重労働みたいです^^;
約10分ついてお餅は完成、つき立てのお餅を中井さんおすすめの「砂糖しょう油」で食べていました。
その後は、お正月のお餅料理の定番「お雑煮」中井家では白味噌仕立てでいただくようです。


中井貴一さんのコダワリその2 水餃子

このパーティのもう1つの目玉が水餃子!憲武さんも大絶賛するその水餃子は、本場中国の味。
中井さんのスタッフに中国人カメラマンがいて、その人が水餃子を作ってくれるんだそうです。
その水餃子の為に、中国からその人を呼んでパーティに来てもらうんだか^^;
この番組にも来てもらおうと思ったそうなんですが都合が悪かったようです。
レシピを教えてもらい、番組でその味を再現しました。
中井さんが食べてみたところ、皮の厚さがちょっと物足りないようでしたが、味は合格!
西尾アナも大絶賛で、自分から進んでおかわりをしてました。
残念ながら、詳しいレシピは公開されず、ニンニクは無しで生のホタテがポイントみたいです。

もち付きを手伝ってもらった理容師さんとスタイリストさんを呼び、急遽水餃子パーティ。
理容師・四戸岸さんのはさみ研ぎのこだわりや
スタイリスト・大久保篤さんのコーディネイトのこだわりが話題になりました。
「職人好き」というのも俺のコダワリと中井さん。
四戸岸や大久保さんのような職人と携わっていたいし、一緒に仕事していきたいそうです。


●コダワリのVTR
「折りたたみ式携帯の未来を切り拓いた男 久保田 直基」

1993年頃の携帯電話は、肩から提げるタイプでレンタル制でした。
翌年の1994年から端末のレンタル制が買い上げ制に移行、業界は大きな転機を迎えていました。
今回の主人公、久保田直基は新潟のプリンター等の精密機械のバネを作る工場で働いていました。

「フタ付きの携帯電話は作れないかな」と思わぬ相談を受けた久保田
求められたのは、フタがパカっと開き、スッと閉じる「蝶つがい」
微妙な動きの蝶つがい、小さな携帯電話、複雑な構造では壊れやすくなってしまいます。
久保田は身近にあったダブルクリップで閃きました。
楕円形に削ったプラスチックを2つの小さなダブルクリップで挟み込む構造を思いつきました。
楕円形で回転する時に緩急をつけ、理想通りのフタが完成しました。
1994年4月に発売された「ムーバDU」はスマートさが受けて大ヒットしました。

これをキッカケに、携帯の開け閉めだけを特化した新会社を設立することになりました。
1999年2月「iモード」開始。
携帯で扱う情報量が増え、液晶画面が大きくなっていきました。
従来の一体型ではなく、画面と本体を分割した折りたたみ式の時代を迎えたのです。
案の定、久保田のところにもパナソニックからの依頼が入りました。
ところが、その要求はとてつもなく厳しいものでした。
蝶つがいを今まで以上に小さくしてほしいとのこと、その理由は配線でした。
本体と液晶画面を繋ぐ配線のスペースが必要となり
蝶つがいに使えるスペースは直径6o長さ12oしかなかったのです。
この大きさは以前作った蝶つがいの半分以下の大きさでした。
しかも、今回のはフタではなく液晶画面その重さは約5倍です。
スペースは従来より小さくして、強度を増やすという難しい要求でした。
さらに、デザイナーからの要求で「品のある開閉」を求められたのです。

まず取り組んだのは、小さくして強度を増やすこと。
答えは、クリップのように身近にありました。「スプリング」です。
スプリングは巻数が同じなら、直径が小さくなる程弾力が増します。小さくなるほど好都合だったのです。
久保田は、デコボコのある2つのパーツをスプリングの力で噛み合わせる仕組みを考え出しました。
液晶と本体をしっかり支えてスムーズな開閉も可能!
こうして、「スプリング式開閉システム」が完成しました。

問題は「品のある開閉」でした。
自動ドアやラジカセの開閉口の動きは一定ではありません。
あの動きのように開閉スピードに変化をつけようと考えます。
その為にデコボコのパーツのへこみの角度を調整、その感触を数値に置き換えていきました。
どれくらいの速さでパカっと開き、どれくらいの角度でスッと閉じればいいのか
ミクロ単位で部品を削り、自分なりの理想的なスピードを目指し作業を続けました。
それと同時に耐久テストも行いました。10万回の開閉に耐えられるかどうか
毎日毎日開け閉めを繰り返し、「正」の字を積み重ねました。

こうして試作品が完成!それは、メーカーも納得の出来栄えでした。
スプリングの力による心地良い抵抗感
へこみの角度を33度にしたことで生まれた程よい開き具合
角度20度以下になると吸い込まれるように閉じる爽快感
こうして、2000年8月。パナソニック初の折りたたみ式携帯「P209iS」が発売されました。
以来、各社がこぞって折りたたみ式携帯に移行しました。
今では、世界のトップメーカーも久保田の「スプリング式開閉システム」を採用しています。


●コダワリのオススメ

・螺旋型な消しゴム
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2008年09月13日
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未来創造堂 第126回 葉加瀬太郎 八田亜矢子

第126回のゲストは、葉加瀬太郎さん、八田亜矢子さんでした。

●コダワリのトーク

葉加瀬太郎さんのコダワリは、牛肉の赤身

葉加瀬さんは、みんなから「ギュウさん」と呼ばれるくらい牛肉が好きなんだそうです。
早速、オススメの牛肉が登場!
「牛たたき ナニワヤ(麻布十番)」
麻布十番にあるスーパーで、牛肉が特出して素晴らしいそうです。
みんなが美味しいと絶賛した牛たたき 1807円だそうです。100gあたり698円。
美味しく調理してあってこの値段なら安いですね。

葉加瀬さん曰く、和牛は素晴らしい肉で霜降りも綺麗だと思うんだけど
本当の肉好きは、また赤身に戻ると思っているそうです。
赤身の血の味・肉の味を楽しむ、それが原点、それを忘れてはいけないと言っていました。

そんな牛肉好きな葉加瀬さんが、お肉を食べて泣いちゃったことがあるそうです。
口に入れた瞬間に、うめ〜な〜と思い涙が止まらなくなるというお肉。
葉加瀬さんの選ぶ、泣いちゃうくらい美味しいお店を教えてくれました。

・大阪 尼崎 味楽園  焼肉のお店で、タン塩が特にオススメみたいです。
・三重 松坂 和田金  ギュウさんには有名なお店で聖地とも言われているみたいです。
・宮崎 宮崎市 大野屋  宮崎牛で有名なお店で、熱した石版の上で肉を焼いて食べるそうです。
スタジオに大野屋さんのお肉が登場して、みんな大興奮!
葉加瀬さんの家の「特製にんにく醤油」を付けてパクッ 本当に美味しそうでした。
赤身がスゴイというお店が
・沖縄 石垣島 いしなぎ屋  もっと噛んでいたいという美味しさみたいです。

そして極めつけが・・ ローストビーフ
葉加瀬さんが若い頃から憧れているお店が「東京 日比谷 東京會舘」
エリザベス女王が来日したら必ずそこのローストビーフを食べるそうです。
スタジオで盛り付けられた、そのローストビーフを食べた憲武さん達は
「これは溶けてる」と大絶叫でした。



八田亜矢子さんのコダワリは、ホイップクリーム

生クリーム・ホイップクリームが好きだという八田さん。
とにかくホイップクリームだけが好きで、ショートケーキもイチゴはいらないそうです。
小さい頃は、お菓子作りが好きで自分で泡立てて作り、ホイップクリームのみ食べてたんだとか
さすがに、大きくなってからは生クリームのみを食べることは無くなったそうです。

そんな八田さんが取り出したのは・・ 業務用のホイップクリーム
先っぽを切って、ギューっと絞れば、ケーキ屋さんのようなホイップが!
こういうの売られているんですね^^;
八田さんは、それをスプーン一杯分だけ絞って食べたりするそうです。

もう番組恒例になっている 利き○○ 八田さんは利きホイップにチャレンジ!
・ホッフワルド(缶入り)
・スジャータ(缶入り
・銀座 コージーコーナー
・スターバックス コーヒー
の4種類のホイップクリームを見事当てました。
缶入りの物はスプレー缶なので、ちょっと荒いらしく、食感で分かるみたいでした。
スタバが美味いと憲武さん。
スタバのホイップクリームは持ち帰ることが出来て、紙コップに入れてくれるそうです。お値段50円。
コージーコーナーは昔からショートケーキがあるお店らしく
生クリームに関しては、コージーコーナーが美味しいと八田さんは言ってました。


●コダワリのVTR
「ケーキの未来を切り拓いた男 迫田 千万億」

日本人パティシエが世界的に有名になり、今の日本はスィーツ大国となっています。
でも、昔の日本人はケーキが大嫌いだったらしいのです。
そんな日本人の意識を変えたケーキが「モンブラン」
このモンブランを作り出した男が、迫田千万億です。

ケーキが日本に入ってきたのは、明治36年のことです。
その当時は、日本に来た外国人が楽しむ為の食べ物で、日本人は殆ど口にしなかったそうです。
昭和に入ってもそれは変わらず、特権階級の人だけが楽しむ食べ物だったようです。
昭和8年、当時のケーキのレシピは西洋の物そのままでした。
ケーキ職人だった迫田は、これでは日本人に受け入れられないと考え
日本人の舌にあったケーキを作り出そうと考えます。

迫田は、日本の味、和菓子に目を向けました。
日本人に好まれている和菓子、特に生の和菓子はしっとりとして柔らかいお菓子。
一方、当時の洋菓子は硬くてパサパサしたものだったのです。
和菓子のような、しっとりと柔らかい食感のケーキを作れば受け入れられるはず
そこで注目したのが、日本人に好まれていた「カステラ」でした。
カステラは室町時代にポルトガルから伝わった食べ物。
カステラの元となったビスコチョは非常食で、硬く乾パンのような物だったそうです。
それが日本の風土の中で、しっとりと柔らかい菓子に変化したのです。

迫田は、土台となるスポンジケーキの代わりに、柔らかいカステラを使うことにしました。
問題は上に何を乗せるか・・・
迫田はあるデザートの事を思い出しました。
クリスチャンの迫田は外国人の神父と共にスイスを訪れたことがあり、
その時アルプスの最高峰モンブランの麓で食べたデザート。
それは、クリームの上に栗のペーストを乗せたデザートでした。
栗は日本人馴染みの食材、栗を上に乗せようと決めました。

迫田は、和菓子にならって栗を甘露煮にすると、それを裏ごししてペースト状にしました。
カステラの上に生クリームを乗せ、その上に栗のペーストを細く絞り出して乗せました。
こうして、迫田オリジナルのケーキが出来上がりました。
しかし、食べてみると、栗のペーストが思ったより口にまとわりつき
せっかくのカステラのふんわり感を台無しにしていました。
この問題を解決すべく、もう一度和菓子の世界を見直しました。

そこで見つけたのが「おだまき」という道具です。
この道具は、クリームの絞り器と似たような細工の出来る優れものでした。
おだまきを使いペーストを絞り出すと、ペーストが立体的に重なり空気を多く含みます。
これにより、しっとりふんわりとした食感が生み出されました。
最後に、アルプスの万年雪に見立てたメレンゲをあしらい「モンブラン」が完成しました。

日本人による日本人のケーキは、こうして生まれました。
迫田の功績は、それだけではありません。
自分の店でモンブランを売るだけでなく、そのレシピを全国の洋菓子職人に伝えました。
同じように日本で生まれたショートケーキと共に、迫田のモンブランは全国に広まりました。


●コダワリのオススメ
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2008年09月06日
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未来創造堂 第125回 佐野史郎 須藤理彩

第125回のゲストは、佐野史郎さん、須藤理彩さんでした。

●コダワリのトーク

佐野史郎さんのコダワリは、ギターのひずみ

自らのバンドでギターとボーカルをやっている佐野さん。
基本的にロックが好きで、エレキギターが大好きみたいです。
エレキギターの綺麗な音が好き、速弾きが好きと好みが分かれる中
佐野さんが好きなのは、ギターのひずんだ音色なんだそうです。
「ディストーション」とか「オーバードライブ」と言い方が色々あるみたいで
佐野さんが好きなひずみの入った曲を紹介してくれました。
「I FEEL FINE ビートルズ」
レコーディングの時に、偶然ハウリングした音だというエピソードがあるそうです。
「I'M DOWN ビートルズ」
佐野さん自身がipodで持ち込んで紹介。
間奏のギター演奏が佐野さんのお気に入り、かなりノリノリでした。

ひずみは、アンプを通すことで起きるらしく、アンプのメーカーによってひずみ方も違うんだとか。
このひずみをわざと使う為に、音をひずませるエフェクターが出来たそうです。
そのエフェクターを使い、佐野さん自身がギターを演奏してくれました。
説明を聞きながら聴くと、ひずみのある音と無い音の差がよく分かりました^^


須藤理彩さんのコダワリは、ベビーカー

1歳6ヶ月のお子さんがいる須藤理彩さん。
事務所の会長がお祝いにベビーカーをプレゼントしてくれるということで
色々と調べてみたそうです。調べる前は一般的な4輪のものしか知らなかったそうですが
調べてみると、沢山の種類があって、どれにしようか凄く迷ったそうです。

色々調べて、悩んで悩んで、よ〜やく見つけた理想のベビーカーが
イギリスの自転車メーカー マイクラライト社のベビーカーなんだそうです。
特徴としては、タイヤが大きいのでクッション性が優れていてデコボコ道でも楽なんだとか。
須藤さんがそのベビーカーを貰った次の年に、最新版の物が販売されたそうで・・・
最新版では、須藤さんが思っていたいくつかの弱点
日よけがちょっと短い、椅子の下の荷物入れが入れにくいという点が改良されてるそうです。

スタジオに色々なメーカーのベビーカーが登場。
須藤さんの使っているメーカーの最新版のベビーカーもありました。
名前が挙がった数社を紹介します。
「マクラーレン(英)ケイト・スペード」
ケイト・スペードというカバンのメーカーとマクラーレンがコラボして作ったベビーカー
デザインの可愛いものが多いそうです。

「シルバークロス(英)ケンジントン」
イギリス皇室御用達のベビーカー、39万8千円の超高級品。

「コンビ(日)グランパセオ」
日本製のベビーカー、街で一番良くみるタイプです。

「マイクラライト(英)toro・ストローラー」
須藤理彩さんオススメのベビーカー、大きめの後輪が特徴的です。
詳細はこちら→Micralite(マイクラライト) toro・ストローラー オレンジ
折りたたんでの持ち運びも楽に出来そうですね。

シルバークロスを除いた3社のベビーカーで障害物競走が行われましたが・・・
ベビーカーを選ぶ基準にはなりそうにないレースでした^^;

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●コダワリのVTR
「カメラの未来を切り拓いた男 更田 正彦」

日本光学(現 ニコン)は戦時中、戦艦大和に搭載された「測距儀」の製作を手掛けた会社でした。
「測距儀」とは、敵の船との距離を測るもので、50キロ先まで正確に測れたそうです。
終戦後、会社は転換を迫られます。軍も戦艦ももう無い。
築き上げた技術をどこに活かせばいいのか・・
会社は、光学技術を転用出来るカメラの製作に乗り出しました。
会社の未来を任され、そのチームを引っ張ったのが更田正彦です。

当時、世界をリードしていたのは、ローライ、コンタックス、ライカといったドイツ製のカメラでした。
更田達は、その精巧なメカニズムを徹底的に研究し
ライカと同じタイプのカメラ、「ニコンS」シリーズを発表しました。
このカメラの仕組みは、カメラ前面にレンズが取り付けられ、その脇に小さな窓がある。
この窓を覗き、ピント合わせや構図を決めシャッターを切るというものでした。
このタイプのカメラは、レンズと小窓に微妙なズレが生じてしまう弱点がありました。
遠い景色なら問題ありませんが、被写体が近くなるとズレが大きくなってしまうのです。

更田は、ファインダーで見たままを写真に出来ないかと考えます。
そこで目指したのが「一眼レフカメラ」の製作です。
ところが・・ ライバルの光学メーカーが国産初の一眼レフカメラを発表。(アサヒフレックスT型)
一番に発表は出来なかったものの、当時の一眼レフは壊れやすく耐久性に問題がありました。
更田達のチームは、プロを納得させるだけの頑丈さと性能を目指し研究を続けました。
試行錯誤を続け、他メーカーには無いカメラが完成しつつありましたが
更田には一点だけ納得のいかない部分がありました。それは、「シャッター」でした。

レンズの捕らえた光を一瞬の開閉でフィルムに感光させる役シャッター
レンズとフィルムの間にあるシャッターは、普段は閉じている薄い幕です。
光を通さないこのシャッター幕は、カメラ本体にコンパクトに巻き取られています。
巻き込む事が可能な素材ということで、当時は布製の黒い幕が使われていました。
でも、誤ってレンズを太陽に向けてしまうと穴が開くという難点があったのです。

更田は、布に変わる素材を探しました。
燃えなくて丈夫で、しかも布のように巻き込むことの出来る素材。
更田が辿り着いた素材は金属! それも高級素材のチタンだったのです。
かくして、0.025oまで薄くしたチタン製シャッターが完成。もちろん世界初の試みです。
太陽の光なんてへっちゃら!巻き込んでは開く15万回のシャッター開閉テストもクリアしたのです。

こうして、1959年6月「ニコンF」が誕生しました。
他のメーカーが2万円台だったのに対し、ニコンFは6万円台。
当時の価値にすると120万円相当の高級品だったそうです。
高価にもかかわらず、どんな環境でも壊れない頑丈さが認められ
プロのカメラマン、特に戦場カメラマン達が絶大な信頼をよせました。
豊富な交換レンズや連続撮影を可能にしたモータードライブなど
どんな被写体をも逃さないシステムで、ニコンFはライバルを大きく引き離しました。
ドイツの真似事と言われた日本カメラの地位を大きく引き上げたのでした。


●コダワリのオススメ

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http://souzoudoukodawari.seesaa.net/article/106102937.html

2008年08月30日
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未来創造堂 第124回 唐沢寿明

第124回のゲストは、唐沢寿明さんでした。

●コダワリのトーク

唐沢寿明さんのコダワリ1つ目は、NSX

未来創造堂はHonda一社提供の番組です。
Hondaが世界に誇るスポーツカーの1台「NSX」が唐沢さんのお気に入り。
今は手放してしまったそうですが、初期の頃から3代乗り継いだんだそうです。
最初に買ったのは、ドラマ「愛という名のもとに」の頃。
その頃入ったお金を全て注ぎ込んで、NSXを購入したそうです。
その車から離れたくないという気持ちから、車で寝泊りしていた時もあったんだとか。

唐沢さんのこだわりは、ちゃんと運転する事。
乗らずに飾っておくマニアの人もいますが、乗らないなら買わないほうがいいと言ってました。
もう1つのこだわりが、一切改造しないこと。
マフラーやホイールを変えたりしたら、車に失礼です!
改造する箇所がない完璧な車ってことみたいです。
スタジオに最新型のNSX−Rが登場!
唐沢さんが乗っていた頃よりもシート等かなり改良されているようです。
唐沢さんや助手席に乗った西尾アナともに大興奮していました。
Rタイプにだけ付けられる真っ赤なHondaのエンブレムを見て
「勝者の証」と言ってました。 お高いですからね・・ NSXは・・^^;


唐沢寿明さんのコダワリ2つ目は、榊原郁恵ちゃん

中学の時から榊原郁恵さんが好きで、ファンクラブにも入ってたそうです。
他のアイドルには目もくれず、郁恵さん1人が好きだったんだとか。
笑顔がスゴク好きで、イメージのキャラクターのオレンジ色のクマも好きだったそうです。
郁恵さんのイメージカラーがオレンジ色だったらしく?
水着のビキニの色もオレンジ色が多かったみたいです。木梨さんも頷いてました。
熱烈なファンだったんですが、コンサートで掛け声をかけたりするタイプではなかったそうです。
密かに好き、俺のほうが本気という意思表示だったようです。
そういう仕切りがあったので、部屋にポスターを貼ったりということも無かったそうです。
ただのファンではなく、本気で好きなんだ。唐沢さん曰く「遠距離勘違い」だそうです(笑

郁恵さんの衣装をデザインするという企画が雑誌であったそうで
唐沢さんもデザインして応募したそうです。残念ながら当選はしなかったのですが・・・
コンサートの時に、唐沢さんのデザインした衣装を着た郁恵さんが登場したんだそうでうす。
その衣装を着た郁恵さんの写真がレコードジャケットにも使われていて
なんで自分のデザインが使われてるのか、なんで何も貰えないのか
唐沢さんは、そのことに相当ショックを受けているようでした。

そんな唐沢さんがどうしても手に入れることの出来なかった物が・・・
榊原郁恵さんのデビュー25周年記念のフィギュア
唐沢さんは、それが作られた事を知らなくて、インターネットで後日知ったそうです。
それから、個人売買でもいいからとインターネットで探しまくったけど見つからなかったんだとか。
そのフィギュアがスタジオに登場!
ドキドキしながら、そのフィギュアの顔を見た唐沢さんの第一声は・・
「似てねー」でした。確かに似てなかったです。ハイ^^;


●コダワリのVTR
「ナースの未来を切り拓いた男 澤登 達郎」

1971年、ナガイレーベン(旧 永井衣料)は、作業用白衣の製作・販売を手掛けていました。
その社員だった澤登達郎は、納入先の病院でナース服の不満を知ります。
真っ白なナース服を、綺麗に清潔に保つ為に洗濯代がかさんで困ってるとのこと。
その管理をナース個人に任せている病院も多く、ナースに負担がかかっていました。
そこで澤登は、手入れが簡単で清潔感が保てるナース服を作ろうと思い立ちました。

澤登は、当時の新素材、化学繊維に目を付けます。
耐久性は木綿の4倍、洗濯しても乾きやすく皺になりにくい。
アイロン掛けの手間も省ける理想的な素材でした。早速、試作品を作り、病院に持ち込みました。
ところが・・・ その試作品は下着が透けて見えてしまったのです。
試作品は失敗に終わりましたが、洗いっぱなしで良いという点は高評価を受けました。

欠点は下着が透けること・・・
ここで澤登は違う方向に進んでしまいます。
ナース服を改良せず、透けない為の下着スリップの製作に力を注ぎました。
これでは洗濯物が増えてしまって本末転倒。却下されました。
ナース服の改良に力を入れた澤登は、
ナース服の織り方に凹凸を付けることで透けやすさを解決しました。
出っ張った部分に光が当たった時に影になる部分が出来るので透けにくくなったのです。

お手入れ簡単、アイロン不要、下着も透けないナース服
お手入れの面では完璧な服でしたが、機能面で多くの要望が寄せられました。
腕回りがキツイ、腰にゆとりが欲しい、ナースの要望に答え、仕事のしやすい服を目指しました。
ナースの仕事を観察し、体の動きを徹底的にチェック。
美術大学のヌードモデルを呼んで、その動きを再現してもらい。皮膚の伸び縮みもチェックしました。
この結果、服を作るパーツを細分化、直線的だったラインも体に沿った立体的なものになりました。
それまでの動きづらく野暮ったい服から、機能的なデザインの服に生まれ変わったのです。
この服の完成は、ナースだけではなく病院の経営者も喜んだそうです。
木綿の3倍の値段だけど、耐久性に優れている為長い目で見れば経済的だったからです。
澤登のナース服は、またたく間に全国の病院で採用されていきました。
現在では、韓国や東南アジアでも使われており、海外でも高く評価されています。

●コダワリのオススメ

・折り畳み式カラーコーン
詳細記事はコチラ⇒折り畳み式カラーコーン

2008年08月23日
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未来創造堂 第123回 大友康平 酒井若菜

第123回のゲストは、大友康平さん、酒井若菜さんでした。

●コダワリのトーク

大友康平さんのコダワリは、高校野球

高校野球が大好きだという大友さん。
甲子園の試合だけじゃなく、予選地区大会から全てスポーツ紙でチェックするそうです。
北は北海道、南は沖縄までの全ての結果を見ると、だいたい45分かかるんだとか^^;
大友さんの出身が宮城県ということもあって、基本は北海道・東北の高校を応援してるようです。
昔は、北海道・東北の高校が弱くて、抽選で当たると相手が喜ぶという事があったらしく
近年では、東北勢は相手に恐れられるくらい強くなってるから、それが嬉しいみたいです。

それくらい入れ込んでる大友さんだから
過去の新聞の切り抜きの一部だけで、どこの高校の試合かも全て的中!
歴史に残る名勝負は、全て記憶しているんじゃないでしょうか・・・
大友さんが見てみたい夢の試合は、松坂大輔のいた時の横浜高校と
桑田・清原がいた時のPL学園との試合だそうです。
タイムスリップして対戦して欲しいという夢を語っていました。
その対戦なら私も見てみたいです^^



酒井若菜さんのコダワリは、幕末

以前、ビビる大木さんがこの番組で幕末の事を熱く語ってくれました。
酒井さんは、そのビビル大木さんの話がキッカケで幕末に興味を持ったそうです。
でも、話が難しいところも多く、幕末に関する辞書も買って、現在も勉強中!
ここ1年半、1日平均8時間読んでるそうです。
そんな酒井さんが号泣したという「吉田松陰と金子重典」のエピソードを話してくれました。
身分の違う2人は共に旅をしていて、外国に渡ろうと謀ったものの囚われ身になります。
カゴで引き回され、地元の牢獄に送られる事になった2人。
しかし、身分の低い金子だけが酷い目に合わされます。
そんな金子を自分の事はなりふり構わず助けようとする吉田松陰の話でした。
酒井さんも省略して話したと思うので、詳しく知りたい人は調べて見て下さい^^;
このエピソードを読んで、包み込まれるような優しさを感じ、
吉田松陰先生を心から尊敬しているという酒井さんでした。


●コダワリのVTR
「ペンギン飼育の未来を切り拓いた男 古賀 忠道」

日本に初めてペンギンが来たのは昭和26年の事。
その当時、上野動物園の園長を務めていたのが、古賀忠道です。
南氷洋の捕鯨船の船員が、ペンギンを連れて帰ったことがペンギン飼育の始まり。
極地に住むペンギン、当時は世界でも飼育例がなく、その方法も確立されていませんでした。
日本に最初に来たのは「ヒゲペンギン」昭和26年4月でした。
日本の気候はペンギンには暑いはず、急ピッチに水槽を改造して、簡易冷房室を作りました。
手探りで飼育を続け、ヒゲペンギンはなんとか暑い夏を乗り切ることが出来ました。

ところが・・・ 元気だったペンギンが急死してしまったのです。
古賀はその原因を徹底的に調べました。その原因は、「アスペルギルス」というカビ。
このカビがペンギンの呼吸器官を犯し、呼吸不全を引き起こしたのです。
ペンギンの体内には、「気のう」と呼ばれる呼吸器官があります。
水に潜る時にだけ使われる器官で、肺のようにいつも空気が出入りする器官ではありません。
よどんだ状態になりやすい気のう内部は、カビが蔓延るにはもってこいの場所だったのです。
南極は厳しい寒さの為細菌がいません。
無菌室のような場所で暮らしてきたヒゲペンギンにはカビに対する抵抗力が弱かったのです。

昭和29年。上野動物園に「コウテイペンギン」がやってきました。
当時、世界中のどの動物園でも飼育に成功したことのないペンギンでした。
やってきた2羽のペンギンは、「エドワード」「メリー」と名付けられ大切に育てられました。
接する時は白衣を着て、専用の靴に履き替える事を徹底!全ては、ペンギンをカビから守る為です。
しかし、努力も空しく、エドワードは2ヶ月でカビに命を奪われてしまいました。
残されたメリーも容態が悪化、薬を飲ませてみても効果がみられません。
懸命の治療を続ける古賀、職員が使っていた「水虫の薬」でひらめきます。
「オーレオスライシン」という抗生物質、水虫もカビと同じ細菌。
水虫に効くのなら、ペンギンを苦しめているカビにも効果があるかもと思ったのです。
古賀は薬の粉末を取り寄せ、アルコールに溶かし蒸気にして吸入させました。
患部に直接あたれば、きっと効果があるに違いない。
これが最後の手段と古賀はこの治療をメリーに施し続けました。
半年ほどこの治療を続けた結果、メリーは無事回復!元気を取り戻しました。

古賀達は、世界で初めてペンギンの長期飼育に成功。
この結果は、世界中の動物園に衝撃を与え
「ペンギンの飼育なら上野」という国際的な評価をうけることになりました。
今では、日本のペンギン飼育と研究の技術は、ペンギンの保護にも活かされ始めています。
現在、日本のペンギンの飼育数は、およそ3300羽。その数は世界一です。

絵本「かわいそうな ぞう」
戦時中、混乱を避ける為に上野動物園では、止む無く多くの動物が毒殺されました。
絵本にもなった有名なエピソードです。この当時の園長も古賀忠道でした。
苦渋の命令を下すことになった園長、苦しく悲しいお話でしたね。


●コダワリのオススメ

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詳細記事はコチラ⇒メイクフラワー花子ちゃん

2008年08月16日
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未来創造堂 第122回 杉田かおる 大東俊介

第122回のゲストは、杉田かおるさん、大東俊介さんでした。

●コダワリのトーク

杉田かおるさんのコダワリは、干物

干物の食べ方にこだわりがあるという杉田さん。
お気に入りのアジの干物で食べ方を見せてくれました。
お気に入りは「下田 万宝 アジの干物」取り寄せて食べているそうです。
その食べ方は・・・ 開いたアジの干物の中央あたりを普通に食べ
その後、薄皮の下の中の身をほじり出して食べるんだそうです。
こうやって食べると、食べているのに食べていない人のように見えます。そこがコダワリ^^;
ドラマの撮影で撮影用の食べ物を「消えもの」と呼ぶらしいです。
NGが出た時に、また消えものを用意しないといけないという時に
この食べ方だと、食べてないように見えて食べてるシーンが撮れる
撮影時の経費や時間短縮でやってきたことがクセで、ついついやっちゃうそうです。
そうやって食べた後の干物は皮だけ残り、そこは食べないそうです。
そこが一番美味しいのに〜〜 と 憲武さんに突っ込まれていました(笑

干物の話から、話題は「お取り寄せ」に
お取り寄せした物の詳細をスクラップにして保存しているそうです。
味噌やしょう油といった調味料もお取り寄せしているんだとか・・

そしてまた話題は変わり「オトコと食べ物の関係」に・・
杉田さんの思うイメージみたいな感じですね。簡単にまとめると
「茶碗蒸しが好きな男の人 ⇒ マザコンの人が多い」
「ソフトクリームが好きな男の人 ⇒ 若い女の子が好き」
「ガツガツ食べる男の人 ⇒ ガツガツしている」
「辛い物を食べれない男の人 ⇒ 年上の女にはいかない」
最後のほうは、食べ物と性欲の話に変わっていき
干物から随分話が飛んだなぁ〜と思いました^^;


大東俊介さんのコダワリは、お星さま

大東さんは、プラネタリウムにハマっているらしく、施設に行くのも好きなんですが
自分の部屋をプラネタリウムの様に改造するのにハマっているそうです。
蓄光塗料を使って星型のシールを天上などに貼り付けているんだとか

家庭用のプラネタリウム売ってますよね。天上に映すタイプのやつです。
あれだと、結局はライトで映しているので、丸い天井なら良いんだけど
普通の家の平面の天井では、星が延びて写ったり、角が見えたりして
気持ちがあまり乗っていかないのでダメなんだそうです。

そこで・・ 自分で夜空を作ればいいんだと
部屋中に蓄光塗料を塗って、星型シールを貼って、部屋の電気を消すと
一面の星空が広がるように大改造したらしいのです。
その様子をVTRで見せてくれたのですが、映像と実際見るのでは全然違うみたいで
「実際はこんなもんじゃないんです!」と悔しがっていました。

最後に番組で用意された、本格的なプラネタリウムの映像は
星空だけじゃなく、オーロラも映し出されて、すごく綺麗でした。
こんな本格的なのは家庭用では無理みたいですね^^;


●コダワリのVTR
「西洋料理の未来を切り拓いた男 村上 信夫」

フランスの美食ガイド「ミシュラン」東京版
日本のフレンチレストランがパリに次ぐ合計56の星を獲得しています。
今や世界が認める日本のフレンチ
戦後の日本にフラン主料理を広めた伝説のシェフが村上信夫です。

昭和31年、村上はフランス料理の修業をする為パリに渡りました。当時35歳。
リッツは、フランス料理を芸術の域にまで高めたオーギュスト・エスコフィエが料理長を務めた名門。
日本の洋食とは違う本物の西洋料理を学び、ついに名門リッツに辿り付いたのでした。
当時の総料理長、アンリ・リジュールの元で修行をした村上は、昭和33年に帰国。

帰国後、帝国ホテル新館の料理長に迎えいれられました。
敗戦から10年余、東京で外国人を呼べるホテルは、帝国ホテルぐらいでした。
就任後すぐに問題が持ち上がりました。
トリフュやフォアグラといったフランス料理に欠かせない材料が手に入らなかったのです。
そこで村上は、トリフュの代わりに椎茸を使い
フォアグラの代わりに鳥レバーをよく濾してバターとブランデーを加え
本物そっくりの味を作り出すことに成功しました。

時同じくした、村上に新たな仕事舞い込みました。
「日本発の食べ放題レストランを作ってくれ」と経営陣に頼まれたのです。
村上がその手本としたのが、北欧の伝統料理スモーガスボード
魚の燻製や酢漬けといった冷たい料理をテーブルに並べて好きなだけ食べるスタイルです。
作った物を出しっぱなしにしておくスタイルに反発する料理人もいる中
村上にさらなる問題が持ち上がります。
メニューのメインとして考えていたスモークサーモンが
硬くてパサパサの粗悪品しか手に入らなかったのです。
スモークの技術が未熟だった当時の日本には、村上の求めるスモークサーモンはありませんでした。
無いなら作るしかない!と、本場で習った技術を用いて自分でスモークサーモンを作ったのです。
しかし、レシピ通り作っても本場のスモークサーモンのように作れませんでした。
悩む村上に答えをくれたのは「トキシラズ」という鮭でした。
季節はずれに獲れるこの鮭は、秋鮭と比べると油ののりが抜群で
この油の量が柔らかさを決める秘訣だったのです。
日本人が食べているスモークサーモンの歴史はここから始まり、バイキングで世に広まりました。

スモークサーモンが完成し、お客様に出す料理が着々と揃って行きました。
しかし、村上は何か物足りないと考えていました。
本場の料理を忠実に作ったものの、全て冷たい物ばかり・・・
温かい食べ物が無ければ日本人は満足しない!
村上はビーフシチュー等をメニューに加え、冷めないように湯煎に料理を盛りました。
こうして本場のスモーガスボードを越える新たなバイキングメニューが完成。
今やお馴染みの、食べ放題のバイキングスタイルの歴史はここから始まりました。


●コダワリのオススメ

・スケートボードシューズ
詳細記事はこちら⇒エクスライダー
2008年08月10日
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未来創造堂 第121回 はしのえみ 野久保直樹

第121回のゲストは、はしのえみさん、野久保直樹さんでした。

●コダワリのトーク

はしのえみさんのコダワリは、ちくわぶ

おでんの具として知られている「ちくわぶ」ちくわぶは、関東地方でよく食べられる食材で
他の地方ではあまり売られていなくて、おでんにも入れないそうです。
はしのさんの出身地、鹿児島にも無くて、
東京のおじいちゃんの家に行った時に食べられる、憧れのちくわぶだったそうです。
憲武さんも「ちくわぶ大好き人間」はしのさんと意気投合していました。

番組で用意された「ちくわぶのみ の おでん」
煮込みが足りなかったようで、味が浅くて全員が不満顔でした^^;
急遽コンビニで買ってきたものが、よく煮込まれていてgoodだったようです。
次に用意されたのが「ちくわぶの刺身」
特別に作られた刺身、食感と味が一瞬だけあわびと感じるそうです。
美味しいとかの感想はなかったです。美味しくなかったのかな^^;
最後は、「河口屋 特注 巨大ちくわぶ」
大きめの土鍋にドーンと巨大ちくわぶが1本入って登場!
それを立てて、外側をスプーンでそぎ落としながら食べていました。
西尾アナ「今日イチですよね!」
よく煮込まれてふやけている外側が一番美味しいのかもしれませんね。



野久保直樹さんのコダワリは、接客術

お馬鹿キャラで人気の野久保さん。現在27歳なんですが
20歳から23歳まで某一流ブランドのドアボーイをやっていたそうです。
すごいブランドらしいのですが、そこは秘密。
ドアボーイだったんですが、服とか好きで、自分で接客するなら・・と、
他の店を回ったりして、独自に接客術を研究していたんだとか。
ドアボーイにもかかわらず、商品の品番とサイズをだいたい把握していたそうです。
他にも、お客様に嫌な印象を与えないように、
お客様との距離で声のトーン変えたり、接客術を色々考え実践していたみたいです。

野久保さん曰く、3年もやってると見るだけで「買う、買わない」がだいたい分かってくるそうです。
例えば、走って入ってきて、そのままホールに向かう客。
そういうお客が来たら、インカムを使って中の人に連絡するんだそうです。
「それでアレ付けてるんですね」と西尾アナも感心していました。

スタジオにお店のように洋服を並べて、野久保流の接客を披露してくれました。
独自で研究をしてきただけで、実際接客はしたことないらしいのですが
かなりお客の心理を考えた見事な接客でした。
基本は声を掛けられたら、お客のところへ行く。
かといって、全くお客のところに行かないのもダメ。行くタイミングが重要みたいです。
何度同じ服を見ているお客がいて、そのお客がそこを離れた時に声を掛けるのはNG
離れたお客が再度その服のところに戻ってきたら声を掛けるそうです。
お客様に、値段を聞かれて値札を見るようではダメ
サイズと色を聞かれて、台帳を見に行ってるようではダメ
そういう事は、全て把握していないとお客様との会話がスムーズに進まないそうです。
極めつけが試着の時です。試着しているお客様を試着室の前で待ってるだけじゃダメ。
試着している間に、他のサイズやそれに似た感じの別の服を用意しておくそうです。
野久保さんの考える、接客で一番大事な事は
「お客様に、もう1度お店に来てもらう為にはどうしたらよいか」
それを考えて接客しないと嫌な印象を与えてしまうようです。


●コダワリのVTR
「バレーボールの未来を切り拓いた男 仲田 國市」

1964年 東京オリンピック この大会からバレーボールは正式種目となりました。
女子バレー日本代表は「東洋の魔女」と呼ばれ大活躍!
この時使用されていたボールは、開催国ということもあり日本製のボールが使われました。
日本メーカー9社のボールが「ノーマーク」で使われたそうです。
その1つ「ミカサ(旧・明星ゴム工業)」は広島でゴム製品やドッチボールを作る会社でした。
次のメキシコオリンピックでも我が社のボールをと思っていたのですが
その年から、ボールのメーカーは一社の提供と決められ、世界中のメーカーが殺到
ミカサのボールはあえなく、不採用になってしましました。
この時、痛恨の思いを噛み締めた男が、仲田國市です。

バレーの歴史は、それほど長いものではなく
1895年、アメリカのYMCAで考案。当初はバスケットボールを使っていたそうです。
その後、ゴムのチューブを使ったボールのひな型が誕生。
日本に入ってきたのは、大正の初め、1915年頃です。

公式ボールの基準として定められているのは、3点だけ
重さ260〜280g 円周65〜67p ボール内部の気圧294〜319hPaです。
ボールの良し悪しを決めるのはコントロール。
名セッターと言われた猫田選手に意見を求めたところ
「コントロールしやすくするには、完全な球体じゃなければいけない」という答え。
その当時のバレーボールは、ゴムチューブに布を張り、牛皮で覆うという方法で作られていました。
この方法では、布が重なる部分がデコボコしてしまい。完全な球体にならないのです。

布張り式では出来なかった、完全な球体のボールを作る為、仲田は改めて研究を始めました。
野球やゴルフのボールは、何重にも糸が巻かれて作られていることを知り
真ん丸のボールを作るヒントを得ました。
仲田は、早速ゴムチューブに糸を巻き付け、完全な球体のボールを作りました。
そのボールを選手に試してもらったところ・・・「痛い」
ボールは確かに丸くなったのですが、素手で扱うには硬すぎたのです。
考えてみれば当然の事・・・
糸巻き式のボールを使う競技は、道具でボールを打つものばかりです。
だから、素手で扱うバレーボールには糸巻き式は硬すぎて不向きだったのです。

ボールを真ん丸にするのはクリアできた、後は素手でも扱えるように柔らかくすること。
巻きつける糸の素材、太さ、長さ、巻き方など、ありとあらゆるパターンを試しました。
そして、3年後。仲田の辿り着いた方法は
極細のナイロン糸を、強すぎず弱すぎず適度な余裕を持って何重にも巻きつけていく方法でした。
この方法によって、ボールに弾力性を持たせることに成功したのです。

現在のボールは、10本の糸をより合わせた0.05mmの糸が2000m分ランダムに巻かれています。
こうすることで、適度な柔らかさを実現し、なおかつ誤差1o以下の真ん丸さを保っています。

1980年、モスクワオリンピック。日本はボイコットしましたが・・
ミカサのボールはオリンピック公式ボールとして認定されました。
その後、8大会連続でバレーボールの公式ボールと認定。
今、開催されている北京オリンピックの公式ボールも、もちろんミカサのボールです。


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